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ご挨拶

皆様、こんにちは。
石原オステオパシーオフィスのホームページにお越しいただき、ありがとうございます。
私、石原はオステオパシーというアメリカ生まれの手技療法を33年にわたり行ってきました。

まずは自己紹介をさせていただきます。

  • 氏名: 石原 学
  • 昭和39年(1964年、東京オリンピックの年)東京都生まれ
  • 東京都K市で育ち中学卒業までは東京で育つ。
  • 福岡県の柳川高校に進学、名門テニス部で3年間寮生活。
  • 東京農業大学農学部林学科卒業。
  • 某知的障害児施設で4年間生活指導を行う
  • 25歳から日本指圧専門学校入学、マッサージ指圧師免許取得。
  • 同じく25歳から、オステオパシーのセミナーで基本の技術を学んだ。
  • 小平市の特別養護老人ホームで7年働く。
  • 都内の心療内科(精神科併設)で3年弱、オステオパシーを使い心身の問題を持つ人たちに施術。
  • 武蔵野市の特別養護老人ホームで5年間働く。
  • 2007年10月〜2008年8月、10ヶ月と短期間ではあるが、栃木県宇都宮市で開業。
  • 2008年8月末から飯田橋で仕事を開始。
  • 2012年オステオパシー専門校スティルアカデミージャパン入学、2018年卒業。
  • Diplôme d’Osteopathie(卒業資格)

オステオパシーを学ぶ動機となった出来事

私は東京農業大学農学部林学科の4年時に、私が住んでいた市にあった日本最古の知的障害児施設にボランティアに行こうと思い立ちました。

その施設でそれから約4年間、子供たちの生活の援助をする仕事をさせていただいたのですが、その間に多くの子供たちが精神科の薬やてんかん発作を抑える薬を飲まされ、以前は喋れていたのに喋れなくなるお子さんや、涎(ヨダレ)などたらしてなかったのに涎を垂らすようになったお子さんもいました。

また、ヘッドギアをつけてフラフラと歩く姿を見て、この子達への医学的な援助はこれで良いのだろうかと思いました。もっと自然に治せる方法は無いものだろうかと思いました。

私はもともと西洋医学の薬をあまり好きではありませんでした。
それよりも薬草や自然食、自然療法や自然の中で生き、心身を癒していく方向に興味を持っていました。

その施設で障害を持ったお子様たちの姿を見て、何か手助けができないかと考えた事がオステオパシーという手技療法を学ぶきっかけとなりました。

あるホリスティック医学系の本との出会いからオステオパシーの存在を知る

当時、ある本に障害を持ったお子さんたちにオステオパシーという手技療法で体を整えていくと知的な面の成長や発達も見込めると書かれていて、非常に興味を持ちました。

私は、知的能力の良し悪しというものは持って生まれたもので、それを伸ばすためには地道に勉強し努力していくしか方法はないだろうと思っていました。

勿論人間にはそれぞれの限界がありますし、得手不得手もあり、個性の範囲で生きるしかないのは事実です。

しかしその本によると、出産時外傷や転倒、事故等で頭蓋骨や骨盤、仙骨などに強い圧迫等が起こる事で、脳や神経の機能に制限が起こる事があると書いてありました。そして、その受傷部位を手で調整していくと脳や神経の成長を促進しうると書いてありました。
また、頭蓋骨と脳、膜、脳脊髄液の連動した運動を手で刺激することによって、脳への栄養が良くなり、脳の機能が高まる可能性があるとも読めました。

もし手の技術でそれが可能になるのならば、こんなに素晴らしい事はないと思いました。

25歳から指圧専門学校へ入学、手技療法家への道に切り替えた

私は4年間ほど知的障害児施設で働いた後、25歳から指圧専門学校に行き、体のツボを刺激することで体の活力を高める方法を学び初めました。

手技療法は身体にある自然治癒力を高める方法で非常に効果があると聞いていたからです。

指圧専門学校入学とほぼ同時に、日本にもオステオパシーを教えているセミナーがあることを知り、申し込みました。

オステオパシーとの出会い、頭蓋仙骨療法から始めた

そこで早速手に入れた本が頭蓋仙骨治療(ジョン・アプレジャー著)と言う本でした。クラニオセイクラルセラピーとも呼ばれている技術です。

その本を本当に夢中になって読みました。解剖学をまだ全く分かっていませんでしたが、患者さんが良くなっていったエピソードなど、興味あるところから読み進めていきました。

「蝶形骨? 硬膜? 脳脊髄液? 仙骨?」と当時は全く分からないことだらけでしたが、その本に書かれていた自閉症のお子さんの症状が軽くなった話や、てんかん発作も薬を使う事なく軽くなったというような話を読み、非常に驚きました。

オステオパシーに感じた魅力

オステオパシーは手で行う医学である(A.T.Still M.D.)

オステオパシーの創始者A.T.Still医師(左の画像)はオステオパシーを「手で行う医学」であると宣言しました。 

オステオパシーでは、病や痛みの原因は何か、追及していく事が重要だと考えます。オステオパシーでは頭からつま先まで全てが一つにつながった組織体であると考えます。

なので、例えば肩が痛い時、原因は肝臓かもしれませんし、肋骨かもしれませんし、肺や心臓、足の捻れなど様々な原因が可能性として上がります。だから全身的な検査が必要なんです。

手で身体に触れ、身体が発する熱や皮膚の硬さ、重さなどから状況を推測し、不調や痛みの原因となる箇所を探っていくというオステオパシーに魅力を感じ、私はどんどん惹かれていきました。

医学でありながら手の職人でもあるという分野、手の感覚を鍛え原因を探り身体自らが治ろうとする力を手伝う医学、そのような世界に魅力を感じ、惹かれていきました。

生命が持つ知性に立ち返り、生命の働きを引き出し自然治癒を手伝う事が重要です。

オステオパシーの下積み時代〜特別養護老人ホームや心療内科で経験を積む

27歳で指圧専門学校卒業後、どうやってオステオパシーの触診能力を高めていくかと考えました。

当時セミナーで出会ったオステオパシーの先輩方から一緒に働いて勉強しないかと誘われたのですが、普通の患者さんたち(腰痛や肩こりの人たち)を見ながら自分の触診能力を高めるというのは難しいだろうと考え、お断りさせていただきました。

そこで特別養護老人ホームに入職し、そこでアルツハイマー病やパーキンソン病の末期の寝たきりの方々を見ながらじっくりと自分の触診能力を磨いていく道を選びました。

当時の私はまだまだ触診能力は無いに等しく、アルツハイマーなど脳神経系の難病の方々の頭を触っても、その動きは全く分かりませんでした。
しかし、実際にはアルツハイマーやパーキンソン病の方々の頭は殆ど動いていなくて、触診を学ぶには最高度に難しい対象だったのです。
私は当時、そのことも知らずに、全く動いていないように感じる頭を触り続け、動きがどうしてもわからないので自分には才能がないのかと思い、落ち込む日々でした。

おまけに、脳疾患の方達の頭を触っていると、とにかく眠くなるのです。これが更に落ち込む原因となりました。
これも今なら分かるのですが、施術者と受けている人のエネルギー的な同調という現象から来ます。
今でもある人に触れるとものすごく眠くなったり、患部に触れると手が震えたり、手に痛みが来たりもします。
このような話は現代の科学的な視点からは否定されてしまう話ですが、治療師の世界では割と知られている話なんです。いずれ、そういったエネルギー的な存在も証明されていく事だろうと思います。

結局、最初の特別養護老人ホームで7年間働き、その後その職を辞めて1999年4月から都内の某ホリスティック医学系の心療内科で働きはじめました。
そこでは鬱や精神科に通うような人たちを見ることができました。心療内科ですから自律神経系の乱れた方や様々悩みで脳が疲れ、体調を崩している方達にオステオパシーを行い、好評を得る事ができました。

その後また特別養護老人ホームで5年間働き、通算15年程を老人ホームと心療内科で働きました。
その15年間、本当に多くの人の頭、特に神経系の疾患を持つ人たちの頭を継続的に触ることができた事は私にとって非常にラッキーでした。

私は継続的に多くの方々を毎日のように触り、頭蓋骨の動きを感じ、そしてその方々の体調の変化を観察することができました。
普通の治療院では通常、膝の痛みで来た人には膝や腰、足首などを長く見て、治療の最後の3分から5分程度頭を触る程度が当時は多かったと思います。
しかし私の場合は一人の人の頭を30分から一時間も頭を触り続けることができました。
当然、経験の積み重ねが全く違ってくるはずです。

私は自分が選んだ道が正しかったと今でも思っています。

オステオパシー専門校スティル・アカデミー・ジャパンに入学、オステオパシーを学び直した

内臓の授業

2012年から私がお世話になっていたJOMA(日本オステオパシーメディスン協会)が作ったStill Academy Japan(SAJ:スティルアカデミージャパン)に入学しオステオパシーを学び直しました。
それまではJOMAや協会の先輩から習った頭蓋、内臓、マッスルエナジーテクニック、カウンターストレインなどを習ってはいましたが、やはりフランスのD.O.から習う授業は勉強の濃さ、クォリティが違います。
フランスのオステオパシーは特に内臓領域の技術が発展していました。また内臓を学ぶ中で神経や血管の走行、皮下組織の触診能力なども磨く事ができました。

今後の展開

私は治療師として難しい道を選んでここまでやってきました。でもまだまだ発展途上です。

しかしここまでの33年間、私のオステオパシー技術で沢山の方々を救い、ある場合は一日100回あったてんかん発作がゼロになったり、発達障害のお子さんが普通級に通えるようになったり、自閉症と診断されていても普通に近くなったり、多くのお子さんたちを救ってきました。

また、頚髄損傷で首から下が麻痺してるような人の体のコンディショニングにも私はうまく対応できてきました。

しかしオステオパシーは障害を持った人たちだけのものではありません。一般の人たちも多くの場合、首や肩、腰など関節の痛み、あるいは頭痛などを持っていたり、ブレインフォグと言うような頭に霧がかかったような状態の人たちも今は多くいます。

心身ともにバランスを崩した人や、頭の歪みや顔の歪みなど外見的な姿を気にされ、もっと自信を持って生きたい‼️という方も多いと思います。

そういった状態に対してもオステオパシーはうまく対応できると思います。
私はこの自分がつかんだオステオパシーの技術を持って皆さんが他の人生を改善するお手伝いをしたいと思っています。

一人一人が元気になることによって、家族の団欒が増え、職場では同僚との不和が少なくなり、お互いに建設的な話し合いをできるようになり、皆が楽しく過ごせるようになっていくことだろうと思います。

私はそういった社会を築く礎となれるように今後も頑張ってきたいと思います。

私がオステオパシーで感じた感動や喜びを皆様方に理解していただけたら幸いです。

その他、趣味等

子供の頃、ボーイスカウトをやっていましたので、キャンプやアウトドアが好きです。
自然に触れる事が大事だと思っています。

テニスは中学校の頃から軟式から始め、中3から硬式テニスに変更。高校はテニスの名門、柳川高校に進みました。中学校卒業後すぐに親元から離れ、九州の高校の寮生活に入り、自分で生きていく基礎ができました。
何も知らない子供が高校からいきなり寮生活ですからね。それはそれはきつかったですよ。でも、あの3年間の寮生活で逞しくなりました。その経験が今でも活きていると思っています。

英語習得のため、日々YouTubeやPodcastで英語に慣れようとしています。やはり医学は欧米が進んでます。本場の技術や知識をダイレクトに学びたいという気持ちが強いです。

猫を2匹飼っていますが、実は犬好き。ゴールデンリトリバーを飼えたらと思ってます。

料理が好き。基本的には美味しいものを食べるのが好きで、時にはリッチなレストランに行き美味しい料理も食べたい方です。
そのため、ケトン食もビーガン食なども無理。たまに少しやる程度ならできなくはないですけど、基本「完全雑食主義」です。笑  ビールも日本酒も好きですし普通の人です。

オステオパシーは手の職人です。身体の不調を手で探り、快方に向かわせるお手伝いをします。

この「手の職人」という考え方が好きです。昔の医者はかなり手で人を診断し治していたんですよ。なので、手技療法は最古の医学だとも言えます。非常に古く、しかし新しいこの分野を科学的な視点を持ってみなさんにお知らせしていきたいと思ってます。

よろしくお願いします‼️

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